中越地震から14年
あの日から14年。
関西にいた私は
一晩中両親と連絡が取れないまま
テレビで地震の状況を見ていました。
実家は、震源地から
それほど離れてはいませんでした。
心配で心配で一睡もできませんでした。
翌日電話で連絡が取れ、母の声を
聞いた瞬間、涙が溢れてきました。
母はいつもの元気な明るい声で
「大丈夫だよ。」と言ってくれました。
ほっとした私の耳に入ってきたのは
大勢の賑やかな話し声でした。
近所の人がうちのビニルハウスで
避難していたのですが、
笑い声も混じり楽しそうな様子でした。
ちょっと拍子抜けしましたが、
そこに親の強さ、地元の人たちの強さを
感じたことを鮮明に覚えています。
毎年この日にあの日のことを思い出し、
犠牲になった方々を悼むと共に、
親や地元の人を誇らしく思っています。
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