極端な判断
娘が突然、
「もうあの公園行かない。」と
言い出しました。
「なんで?」と聞くと、答えない。
「何が嫌?」と聞くと、「滑り台」と。
よくよく聞いてみると、
滑り台で自分の指がお友達の靴の下になったことが
原因でした。
たまたま起きた公園の滑り台での
ちょっと痛い出来事。
それだけで娘は、
「靴で指を踏まれたことがイヤ」でもなく、
「滑り台がイヤ」でもなく、
かなり飛躍した「その公園がイヤ」という
極端な判断になってしまったのです。
嫌だったのは公園ではなくて、
その痛かったことだよねと確認し、
娘はまた公園に行くと言ってくれました。
大人でも同じようなこと、ありますよね。
「○○が嫌」「○○が嫌い」「○○が怖い」など
あるかと思いますが、
記憶を少したどってみると、
本当はその対象はずっとずっと小さなものだったり、
時には全く関係ないものだったり。
これまでの誤解に気づいたとき、
また違ったものが見えてくるかもしれません。
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